どうして踊るのか? どうして祈りなのか?

2002年08月05日執筆

私がダンスを初めてから9年程になります。
そして“祈り”を意識化できる様になってから、まだ10ヶ月程です。

2001.9.11、米国でのテロ事件。
生中継でテレビに映し出される映像を目の当たりにした私は、誰もがそうだった様に、やはり大きな衝撃を受けました。
そして、あの日から一ヶ月、私の苦悩が始まりました。
毎日毎日、テロ関連のニュースが流れる中、毎晩毎晩、泣いていました。
テロ、戦争、宗教、民族、善悪……いろんな事を考えながらも、何も出来ず、ただ泣く事しか出来なかった。

ところが、どんな事を考えても行き着くとこは「何故、踊るのか?」と自分自身への問いかけなのです。
そして、私は考え方を変えてみました。
家族や友達がテロに巻き込まれたわけではありません。
冷たい言い方をすれば、私には何も関係がないのです。
それなのに何故、こんなにも心が揺さぶられ、不安になり、悲しくなるのか、憤りを感じるのか?
他にも私が必要以上に心を傷める出来事って何だろう?
私は何を望んでいるのか?

10月に入った頃から、どうする事もできない思いを抱えたまま、自分も人間で在ることに嫌気がさしていたからか、だんだんと胃が食べ物を受け付けなくなりました。
身体にまで反応が出てきて、踊る気力まで無くしそうでした。

ある日、テロから一ヶ月が過ぎた頃です(2001.10.8)。
自室に閉じこもりました。
考えても考えても答えなんてでるはずがない、長い長い歴史の中で大きく重く歪んでしまった民族関係…戦争、テロなんて今に始まったことではないし、広い世界、どこかでおこっている。
戦争とまでいかなくても、絶えず起こる殺人事件、犯罪……世の中は変わらない、なんで人は人を傷つけ合うのか……、もう何も考えたくない……考えたところで、私にはどうする事もできない……。
耳をふさぎたい、目を閉じよう、思考を停止しよう。

ヘッドフォンをして、目をつむりました。
そして、音楽を聴き、無になろうとしました。
そして……しばらくすると、胸ん中から、沸き上がるように溢れ出るように、「祈り、祈り」と魂の声が聞こえてきたのです。
同時に、私の中に何かしらのエネルギーを感じました。
踊りたい。踊らんと!
もちろん、魂と言うのは私自身が魂としか言いようが無いので、不確かなものですが、これまでも踊っている時に、普段、私が思考したり感じてる心以外に、私のもうひとつの心・魂があることを感じてきました。
私の踊りを観て下さった方の多くが、憑依とか神がかりとか、精霊と言う言葉を口にされるのは、そのためだと思います。

話がそれましたが、私は本当に無力です。
子供の様にただ泣く事しか出来なかったのですから。
それでも、こんな私でも平和を祈る事は出来るのです。
踊りはまさに私にとっての祈りの行為なのだと、あの日、私は意識化しました。
あえて意識化と言うのは、たぶん、これまでも潜在的にあったものだと思うからです。

あの日以来、私は少し強くなれた気もしています。
悲しみを自分の事の様にとらえられる感性は大切だと思うけれど、自分の中にまで入れてしまってはいけないのだと気付いたのです。

私は祈り続けようと思います。
私の力は非力だけど、表現活動を続けることで、私の踊りを観て下さる一人でも多くの方に共感してもらえれば、いつかきっと祈りの力が強くなって、世の中をかえる力になるかもしれないと信じたいのです。
踊りを通じて平和を祈る事こそ、私がこの世に生まれてきた使命なのだと思います。
平和な未来を願って、私は踊り、祈り続けます。

命あることの喜び、平穏であることの貴さ、小さな輝き。
世の中をかえる力は私たちの心の中の優しさ、思いやり、小さな勇気からはじまる。

祈りの舞ダンサー 牧桃子


掲載にあたって

更新日:2010年07月01日

これまでにもサイトのリニューアルを何度となく重ねてきたものの
いわゆる「祈りの舞誕生秘話」とも言える上記文章は、
いつもそのまま記載してきました。
もう8年近く前に書いた文章なので、
今度こそは書き直そうかとも思いましたが、
稚拙ながらも、その当時の心境を
これ以上鮮明に書くことは不可能な気がしますし、
また、私自身が初心を忘れないために
やはりそのまま掲載させていただくことにしました。
共感してくださる方はどうぞライブへ来てください。
また、「こんなダンサーがいるよ。」と、
ご家族をはじめ、恋人やご友人、お知り合いの方々・・・・・・
たくさんの人達に紹介してくださると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。

 
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